藤井一良の出生についての正しい情報を公開致します

【一部インターネット上での誹謗中傷記事について】

連日に渡り、Revatron株式会社代表取締役の浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)が深田萌絵名義のfacebook、twitter、ブログ等のSNSで、私の出生等に関する個人情報について、悪質な虚偽の情報を発信し、その虚偽の発信内容を一部の浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)の応援者の皆様がSNS上で様々なご意見等を交わされ、誤った個人情報が拡散されておりますので、私の出生等について藤井一良本人よりご説明させていただきたく思います。

 

【事実の概要】

私こと藤井一良は中国残留邦人三世であり、正式な手続きを経た上で、家族と共に幼少期に日本に帰化しております。
中国内陸部で終戦を迎えた私の祖父は、戦後も中国内陸部に残留せざるを得ませんでした。そして、そのまま現地で結婚し、家庭を築きました。その後、1972年日中国交正常化後に中国に残留日本兵が生存していることが確認され、その後、政府機関等のご支援により祖父の帰国が実現し、次いで私達家族が日本に帰国、帰化したのです。

 

【私の出生の詳細について】

私の出生についてご説明する上で、以下長文になりますが、私の祖父についてのご説明からはじめたいと思います。

私の祖父である藤井治は、1944年早稲田大学政経学部在学中に学徒動員され、
中国に出兵し、その後関東軍第三連隊に属し、大陸打通作戦に投入されます。
そして、中国国内を転戦し、湖南省衡陽市にて終戦を迎えます。

終戦後、祖父治は中国軍の捕虜となります。関東軍では衛生兵として従軍していたことから、捕虜の身でありながら中国の現地住民の救助に携わることで、どうにか生きながらえることができました。
衡陽市が内陸部であること等から、戦後も日本へ帰国が難しく、衡陽市に残留せざるを得ませんでした。
その後、祖父治は衡陽市内にて、捕虜の身として医療行為を続けながら1949年に湖南医科大学に入学し、3年間の研修後、衡陽市で内科医となります。
その後は衡陽医学第一附属病院にて主任医師を勤めておりました。

しかし、1966年の文化革命により、祖父治は「日本のスパイ」であるという事実無根の嫌疑をかけられ、身柄を拘束され、その後は家族(祖父治妻、息子(私の父))も非常に冷遇な扱いを受けることになります。

その後、衡陽市の医師不足、衛生問題の観点より、医師である祖父治は釈放されますが、その後は常に人民解放軍から監視を受け続ける生活を強いられます。

1972年に日中国交正常化がなされると、祖父治は防府市役所へ自分の生存を知らせる手紙を防府市役所へ送付します。
そこで初めて、日本の家族は祖父治が戦後も中国で生存していることを知らされます。
その後、祖父治は様々な日本政府機関の皆様のご尽力により、1979年10月に約30年ぶりに日本に一時帰国しました。

日本の家族は祖父治の帰国、日本への永住を強く望みましたが、医師としての立場や当時の衡陽市の医療レベルや医師不足等の問題から、祖父治は再び中国に戻り、衡陽市で医師として地元の皆様へ医療貢献する道を選びました。
中国に戻った後は、主に伝染病の研究とその治療に力を注ぎ、日本赤十字社と協同し、中国国内の疫病の撲滅に長年携わってきました。

1991年12月25日に祖父治は亡くなりますが、翌々日の12月27日には「中国衡陽市において医療貢献をした日本人」として、衡陽市が市葬として葬儀を執り行っております。
医師として中国に残る道を選んだ祖父治でしたが、生前の祖父治の何よりも強い願いは、家族全員の日本への帰国でした。

日本人として何不自由ない裕福な家庭に生まれながらも、中国人として生きざるを得なかった祖父治と、そのために中国国籍に入らざるを得なかった私の父と私を、日本に連れて帰国したい、というのが祖父治の願いでした。
そして、私達家族の帰国の実現は、日本で祖父治の帰りを待っていた家族の強い願いでもありました。

その後、私共、つまり、治の残された家族は祖父治の意思を引き継ぎ、日本へ帰国、帰化します。
その際には、日本の外務省、大使館、法務省等の関係者の方々が、残留邦人の引き揚げ事業として適切にお手続きしてくださっております。

この件につきましては、日中国交正常化後に祖父治の生存が判明した際、祖父治の葬儀の際に日中両国のマスメディアにおいて大きな報道がなされ、有名な報道番組でも特集が組まれるくらいのニュースになり、沢山の記録が残されております。
私自身もまだ就学前くらいの年齢でしたが、当時は沢山の新聞記者やテレビ局の方が自宅に来て、私自身もメディアの方々からマイクを向けられてインタビューに答えたことを鮮明に覚えております。
また、特集が組まれた報道番組のビデオテープは現在も大切に保管しております。

 

【浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)からの嫌がらせについて】

連日に渡り、Revatron株式会社の代表取締役である浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)が、facebook、ブログ、twitter等悪質な虚偽の情報を執拗に流し続けております。
また浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵氏)の支援者の方々が、浅田氏が作り上げたデマを拡散し続けております。
当初はあまりにも現実性を帯びていない内容のため、信じる方はいないだろうと静観しておりましたが、日に日に記載内容が悪質性を増し、一部支援者の中には嫌がらせ目的の過激な内容の書き込みもなされており、関係各所の皆様からご心配されることが増えてきました。

そのため、私自身の出生について、自分自身で真実をすべてご説明したいと思うようになり、上記内容を公開することにしました。

藤井家は祖父、父、私と3代に渡り、戦争の影響を受け、歴史に翻弄されてきました。終戦後の生き残った祖父治が中国で受けた苦しみは想像を絶するものだったと思います。
戦後70年以上経ちますが、昭和50年代生まれの私自身も未だに戦争の影響を受け続けております。
幼少期、私は中国在住時は日本人である、とのことでいじめられ、日本の学校に転校してくると、今度は中国人だとしていじめられました。私は好き好んでこのような身の上になったわけではありませんが、私はこの事実と一生向き合って生きていかなければならないのです。

事実を調べもせずに、私を陥れるためだけに虚偽の情報を捏造し、執拗に発信し続ける浅田麻衣子氏には非常に強い怒りを覚えます。

 

【情報のご提供について】

 

浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)の支援者の方々の中には、上記説明のみでは納得されない、という方がいらっしゃると思います。その方はお手数ですが藤井まで直接ご連絡ください。

悪用しないこと等をお約束していただけるのであれば、上記内容についての当時の資料(動画含む)や、浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵氏)とのトラブルの経緯、裁判の経過、私が浅田氏から受けている嫌がらせの詳細等について、こちらが知っていることについてすべてお伝えしたいと思います。

【浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)の応援者の皆様へ】

 

インターネットでの書き込みは「誰が」、「いつ」、「どこで」、「どのようなことを書いたか」が鮮明に証拠として残ります。
インターネット上で特定の人物等を誹謗中傷した場合、
プライバシー侵害(民法709条)、誹謗中傷(民法710条)、名誉毀損(刑法230条)、業務妨害(刑法233条)等の罪に問われます。
インターネット上で特定者を誹謗中傷、個人情報を拡散させる等の行為は犯罪行為です。今一度、冷静になり、ご自身の身を守るためにも誹謗中傷等の行為を控えていただければ幸いです。

 

【最後に】

 

私は上記内容についての話をほとんど他人に話したことはございません。
その理由は、藤井家親子孫の3世代に渡って戦争の歴史に翻弄されて、沢山の辛い思いをしてきたため、人に進んで話す内容ではないと判断したためです。

出生というものは、自分自身のことなので、誰よりも自分が一番よくわかっていることです。
私の出生に関する事実は、浅田氏が思い描き、浅田氏がインターネット上で発信している内容とあまりにもかけ離れております。浅田氏は、点在している情報や単語だけをピックアップして、自分の中で都合の良いストーリーを組み立てているに過ぎません。
この文章を読んだ浅田氏は、自分の今までに発信した内容を正当化するために、おそらく私への新たな攻撃やインターネット上の誹謗中傷を強めてくることが懸念されますが、現時点で私ができることは、事実を発信するだけでございます。

また、この場を借りて浅田麻衣子氏(芸名:深田萌絵)に申し上げたいことがございます。
細部について全てお話する準備はできておりますので、もし、今後も私のことについて記事を作成し、インターネット上に流布するのであれば、私こと藤井一良本人や関係各所から直接取材し、正確な情報を得た上で記事を作成していただきたく思います。

私の連絡先は以下となります。

 


株式会社アルファアイティーシステム
藤井一良
http://www.a-it.jp/ ;
cs@a-it.jp

投稿者: fujikazu

株式会社アルファアイティーシステムの代表取締役の藤井一良です。

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